皆さん人間お疲れ様です
最近1日が益々早く過ぎて行く。
色々悩んでも、頭で考えてるだけでは、
現実は何も変わらない。
わかっている。さんざん悩んでも、
何年も変われなかった自分を、
言い訳ばかりの自分を、
知っているから。
ただ、時間はいつまでもない事。
健康は、努力しないと、保てない事に、
やっと、51年人間生きてきて、
やりたい事だらけの母が、
痛みに苦しみ悶えながら
亡くなる姿を見て、
やっと、理解した。
ブログには、お母さんの事、
私との関係書こうか、悩んだ。
今更、過去に囚われて、
親を悪く言ったら、罪悪感で、
また、落ち込んで、
自分を責めてしまうから。
前に進むために、始めた事だから、
クスッと笑えるブログにしたかった。
でも、実家の父との関わり方が分からず、
誰にも理解されないかもと、
友達に話さず、今、
苦しくて、ほとんど、寝込んでる私。
同じように悩んでる人が、
いるのかもしれない。
一緒に共感出来たら、少しだけ、
気持ち救われるかもしれない。
だから、暗いかもしれないけど、
読んでみてください。
母が亡くなって、電気ついてないと、
夜眠れなくなった。
単身赴任10年目の旦那さんが、
帰る日だけ安心して眠れるから、
人間生活を、
何もできない自分が情けなくなった。
だから、
自分の感情と向き合わないように、
感情を感じ無いように
頭の斜め上に、
体の中から、感情を、
無理矢理追い出した。
そしたら、味や、匂い、
生活の記憶が曖昧になった。
蕁麻疹が身体中に出来ても、
大丈夫と言いながら。
本当は、辛くて、逃げたかった。
どう前に進めばいいか、
分からなくなって、
初めて、助けて欲しいと、
旦那さんに自分の状況を、話した。
私の事を、ずっと出会ってから、
武士みたいに、強い。
と言ってた旦那さん。
旦那さんが、働いてくれてるから、
私も子供達のお母さんとして、
強くありたいから、頑張ってきたけど、
下の子が、二十歳になるまで
頑張ったから、
弱音吐いていいかなぁ…。
実家とは、ずっと上手くいってなかった。
それでも、結婚したら、
両親も変わるかも。
子供産んだら変わるかも。
何度も、期待して、
諦めた。
母に、
初めてのお産で、不安な時も、
旦那さんも、仕事だし、
母も仕事休めないから、
迷惑かけないようにしなさいと言われた。
ギリギリまで、1人で耐えて、
結局1人で入院した。
子供達が病気しても、
うつるからと、一度も、
病院に付き添ってくれた事も
看病してくれたことも、ない。
他にも、初めての運動会に誘ったら、
自分達の子供やねんから、
自分が見たらいいやん。
私は、畑や、趣味で、忙しいから。
忙しい…。その言葉は、
大嫌いな言葉。
話しても、分かり合えない事に、
やっと気がついた。
だから、
この10年距離を、
置いてきた。
家を建てた時も、内緒で、引越した。
初めて欲しいと言って、買って貰った
嫁入りタンスも、処分した。
母と話しても、
逆ギレされ、泣かれ、
なだめる。
両親は、ずっと仲が悪く、
いつも喧嘩。
小さい頃は、
父が投げたビールビンが割れて、破片で、
母の足が切れて、血が出た事、
泣いて
怯えて、
喧嘩が終わるのを待ってた。
中学になると、母を守る使命感からか、
母を、殴りはしないが、
父が物にあたり、
椅子を倒す音に飛び起きて、
泣いてる母を、守ってきた。
父から、小さい頃何度も、泣いたら、
ベランダや、暗い部屋に閉じ込められた。
中学になると、
お手伝いを何週間前に、
していなかったと、
母が実家の田植えで居ない時に、
兄も居るのに、私だけ、
部屋に突然父が入って来て、
夜中寝ている私を、
怒鳴り起こされて、
何時間も、正座。
俺の目を見ろ、聞いとんのか‼️
何やその目は‼️
小さい頃、ベランダで、お母さんが帰り開けてくれるまで、
何時間も待って、
新聞紙にくるまってたのを、
大人になっても、思い出す。
母は、庇ってくれなかった。
いつも、怒られるのは、
私だけ。
父と、母の顔色を伺って、
幼稚園の時に、この場所にいる為に、
役に立たないとと、両親の前で、
絶対泣かないと、決心した。
小さい頃から、夜になって
成長痛で痛くて、泣きたい時は、
トイレで、手の甲を噛みながら、
痛みをそっちに集中させて、
耐えたりした。
母に褒めて欲しくて、甘えたくて、
笑って欲しくて、おどけた。
両親が笑ってくれた。
母の愚痴を聞いた。
でも、褒められた事も、
お母さんから、
抱きしめて貰った事も、
ない。
母の癌がわかって、
なぜ距離をおいたのか、
謝って欲しかった事も、
聞きたかった事も、
相談したかった事も、
出来ないんだって、
父を、どうしたらいいの。
なんでって…。
タンスを捨ててしまった後悔や、
絶望感で、
心がグチャグチャになった。
その頃から、自分の感情を、
追い出したら、
楽になった。諦めたら、
最後まで、良い娘をする事が、
出来た。
でも、
お母さんの顔を見に行ったりした日は、
ものすごく疲れて、
体重が、7キロ痩せた。
お葬式まで、本当に、
旦那さんと、喧嘩を、私は繰り返した。
体調悪いから、
病院に行くなと言う旦那さんに、
私は、運転して、会いに行き、
会うんじゃなかったと、後悔。
どちらの親戚とも、訳あって、
両親は絶縁状態。
母の膵臓癌の末期の事も、
母が亡くなった日に、やっと、
両方の親戚に、15年ぶりくらいに、
父が知らせた。
私は、旦那さんや、親友にも、
両親は、世間体を気にする人だったから、
しつけという虐待されてた事は、
話した事なかった。
話しても、家族の中で、
私だけにしていた事で、理解されないし、
話しして、私が、
愛されていなかった事を、
受け入れたくなかった。
ずっと、
大好きだよと、
私が母を抱きしめてきた。
最後亡くなる1週間前に、
親友に、頭、母に、
今まで、撫でてもらった事がないから、
撫でて欲しかったと、話したら、
お母さんの手を持って、自分の頭に、
持って動かしても、
撫でてもらえた事に、
なるよって教えてくれた。
親友にも、母との関係は、
母の癌がわかってから、
やっと話せた。
亡くなる5日前、緩和医療病室で、
点滴でウトウトしてる母。
私はしゃがんで、
お母さんの右手を両手で持って、
私の頭に持って、
自分でヨシヨシしょうとしたら、
お母さんの手が自然に動いて
ゆっくり初めて撫でてくれた。
嬉しくて、お母さんの腕を両手で握って
ずっと、
2人になるたびに、頭に持っていった。
すご〜く。
ものすご〜く。気持ちよかった。
今も忘れられない感触…。
愛されてる。愛されてたんだ。
今、そう信じたい私。
信じられない私。
お母さんを否定していたのに、
今、ものすごく、
聞けば良かったと、聞いてみたかった。
愛されてたの?かな?
ぶつけれなかった事、
亡くなって初めて、
自分が、
すごく我慢してた事に気がついて、
お母さんが、私を見守る訳がないと、
怒りを、母が残した畑仕事したり、
夢中で体を動かして、
紛らわしていた。
お母さんのお葬式終わった日から、
不思議な事が、色々あった。
今まで、私だけが感じた、不思議な事が、
家族と居る時に、起きるようになった。
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